2026年8月刊行予定のゲイビデオ予想 | ゲイビデオ論③「乱交」

ゲイビデオ予想

今月のピックアップは自然と複数カラミの作品が多く、たしかに夏は発散の時期でもありますから発展とか…そういえば発展場も少なくなってきたな~(´;ω;`)

 

というわけで、ピックアップが少ないわけではありませんが、ゲイビデオ論として「乱交」について考察しております。

 

18禁アダルトなので18歳未満は下スクロールしちゃダメだぞ!( ̄ー ̄)

 

毎月発売される各ビデオメーカーの作品をいくつかピックアップして中身のエロ度予想をします。※全ての作品を評価しておりません

 

2026年8月前後に発売される各ビデオメーカーの作品を紹介してますが、新作が刊行されていなかったり男女ものなど自分の興味をひかなかったメーカー作品は除外しております。

期待度(★1~★5段階評価)
★・・作品としてエロさはあるけど、なんとなく全体の流れが予想できる映像
★★★・・今月刊行される全作品を比較して印象となる絡み方をしたシーンが少ないかも
★★★★★・・サンプルだけでオカズになるようなシーンが多く予想外も含めて期待
すでに発売されているものもありますが、作品は見ないで予想しています。
8月度は「2026年7月20日前後~2026年8月20日前後」で紹介しております。
紹介できる商品については一部PRを利用しています。

 

刊行される作品のピックアップ メーカー名 / 作品名

COAT / SPARK 美少年スイマー 中出しレ●プ輪● 日向

美少年スイマー・日向が中出し輪●のターゲットに…ッ!!
アイドルフェイスにエロいカラダ。
発情した部員達の性玩具として好き放題に弄ばれる。
助けを求めても…逃げ場一切ナシ。
エスカレートしていく鬼畜追姦レ●プ!

発売日:2026年8月7日 販売価格(税込):¥9,750 収録時間:146min

公式カテゴリー: フェラチオ SEX 複数 レ●プ 生挿入 ぶっかけ スリム 体育会 少年 スジ筋/普通体型 イケメン/アイドル 競パン

モデル:夏葵 日向(HINATA) 優介 仁(JIN)

今月のパッケージはぱっと見で似た雰囲気のものが多いですが、夏らしい水場の競パン系作品と中出し系輪姦映像のブランド「SPARK」が気になるところ。

入れ乱れるような乱交ではなく一人のウケを廻すという意味の「輪姦」と強制的に犯す「レイプ」とい強ワードですが、パッケージからはその雰囲気があまりないのでサンプル動画をチェックですね。

全パートともに日向君が途中で快楽を受け入れているような雰囲気を出さないのはレイプ感があり、また穴から垂れる子種のリアルさも増しているよう。

本編にはBGMはありませんが、サンプル動画だからこその切ないBGMと貪るようにタチ側が攻めていくさまがテーマと相まっていてイイですね♪

全パートともに体位や密着感など各パートのポイントであろう映像を載せているので、パッケージとして気になります。

日向君の性の表現(演出)に期待感をよせ期待度★4にしましょう♪

 

 

G@MES / ノンケ限界面接!! The 32nd time

ノンケ達の限界エロを知る大人気企画「ノンケ限界面接!!」第32弾が発売!!
今回は、雄系現役筋肉体大生の豪輝(20)が遂に限界面接でアナルSEX初挑戦!!!
さらに、若いスベ肌筋肉が超美味しそうなジムトレーナー龍臣(20)がアナル初貫通!!
他にもこんな子があんなことを!?笑顔が爽やか過ぎるホテルマン颯汰…

発売日:2026年8月7日 価格:¥8,960(税込) 収録時間:190min

公式カテゴリー:巨根 / 美尻 / 髭 / アスリート / マッチョ

モデル:豪輝(ごうき) 龍臣(りゅうじん) 颯汰(そうた) 琉斗(りゅうと)

ある意味で本当にこれから活躍するモデルたちと絡むこのシリーズも32弾にも及び、生掘りといった絡み方は今後の作品となりますね。

今回は琉斗君顔出しをしているので、今後の活躍は間違いないのでしょう。( ̄▽ ̄)

おそらくプレイ内容の賞金額は変わらずで全合計12万2000円となるため、おそらくの界隈の相場から考えると破格の金額であり、まだ優しい段階の面接で虜にしてしまうのが上手いですねw

ただ、ノンケという割には男との絡みに慣れてそうな…もしかして潮吹きだったりも今の若者には抵抗のないプレイとなったのか…

サンプル動画ではモデル達の男カラミの抵抗感はあまり感じられず、今後は勢いある出演作が刊行されそうな予感も♡

今作ではまだ各モデルの特徴はとらえられそうにないので、期待度★3といったところでしょう。

GAMES VIDEO公認として「ゲームスの休憩室(X:@gamesnostaff)」というのが公開されており、スタッフの紹介やモデルたちの魅力なんかを高頻度のペースで投稿しています。

作品に関することだけでなく、日常的な発信を混ぜるているためフォロワーたちとの距離が縮まりやすく、また、スタッフたちの日常の視点が作品にどう影響するかも考察できる機会で素晴らしいですね!(*´ω`*)

 

G@MES 公式ページ

 

KOカンパニー / 社会人ラグビー乱交

汗だく汁まみれマンションの一室で完全ストーリー社会人ラガーマッチョ乱交開催!!
ここでしかみられない人気絶頂中の雌鳴き筋肉ド受けモデルたつや&ゴッリゴリのドM竜馬が共演!!デカマラタチ軍団集結でケツ掘りブランコ潮吹き廻し雌鳴きチンポ中毒会合!!
「かんぱい!どのデカマラからケツに欲しいんだ?」
発売日:2026年8月7日 販売定価:¥9,680 収録時間:144min
モデル:滝昇英 今井翔 成宮達也 竜馬

やはり目を惹くようなパッケージを作るのが素晴らしく、こちらを見つめる視線の表表紙と乱交感ある肌色が詰まった裏表紙がイイですね♪

ラグビーをテーマに、サシ・複数(輪姦)・乱交とバリエーションがありますが、やはり達也&竜馬ペアによる乱交パートでしょう。

動画では全体とスポットによる目まぐるしさの演出により乱痴気騒ぎの様相を呈しているよう。

補完するように潮吹きや顔射といったサンプル画像も妄想をかきたてており、期待度★3といったところ。

 

 

BRAVO-JAPAN / 鋼鉄覆面マッチョ!

鋼鉄マッチョがアジトにやって来た!複数輪姦豪華2編収録!肉欲の筋肉アナルがチンポを爆吸する!★PART01 デカマラ8P 編デカマラ野郎がヤリたい放題!ケツ掘りブランコで悶絶掘られイキ!★PART02 筋肉5P 編筋肉タチが次々と体位を変え堀りまくり!しゃぶらせまくり!淫乱交尾の連続!
発売日:2026年7月26日 定価:¥8,500 収録時間:85min
モデル:鋼鉄マッチョ

覆面マッチョ作品といえば「AJITO」ですが、前作から1年ぶりであり、また覆面マッチョ出演もだいぶ久しぶりですね♪

にやけた表情の覆面と褌姿のマッチョ、縄を持って肩に羽織ったさまのパッケージに、バックの雷と同様衝撃が走りました!

さすがにまだこのシリーズの生掘りはありませんが、ケツ掘りブランコや褌姿の雄が群がるような輪姦シーンに惹きこまれます!

2パートではありますが、そのほうが1パートの濃厚さを感じられて見ごたえもありそう。

久しぶりの覆面マッチョ系作品ということで期待度★4と楽しみにしたいですね。( ̄ー ̄)

 

 

メンズラッシュ / 驚異の3連射♂絶倫HIDETOの堅マラで生突き~

チ〇コもデカくて超エロカワ!しかも茶髪&サラサラヘアにイメチェンした18歳のデカチン今風イケメンが、絶倫男に覚醒したHIDETOと生SEX!乳首を摘まれ、身体を舐められ、開始早々から身体を仰け反らせながら可愛い喘ぎ声を聞かせてくれます。美味しそうに盛り上が…

発売日:2026年8月-日 プレミアム視聴:¥1,950 再生時間:26min
モデル:HIDETO(タチ) 18歳のデカチン今風イケメン(ウケ)

絶倫タチというのは稀少ですからそれだけでもインパクトがありますが、HIDETO君の他の作品で絶倫さを強調しておらず、どんな演出となるのか気になります。

画像では表紙も含めて2発分がありますが、残りの1発はどこに出したのでしょう?( ̄▽ ̄)

動画の後半ではウケの足を持ち上げての背面騎乗位「撓み匙」により、結合部で生成されたローションホイップがHIDETO君玉袋をコーティングしているのがすごいですね!

これだけの掘り込みでHIDETO君が3発も発射したのなら、犯されてメス化したウケの一発分も含まれているのでは!※ウケの射精なし

ウケの射精がない分、それだけのエロさもあるということで期待度★3といったところで、チェックしたい作品の一つですね♪

 

 

ゲイビデオ論

今月は複数による作品の刊行も多く、複数人で快楽を味わう「乱交」について考察をしてみたいと思います。

 

乱交-個人の快楽と全体の快楽

 乱交とは、単純に複数の人間が同時に性行為をすることだけを意味するのではない。

そこには、一人ひとりが自分の快楽を追求することと、集団全体が快楽に包まれることが同時に成立する、特殊な状況がある。

一対一の性愛では、相手は基本的に「自分の相手」であり、そこには独占や嫉妬、所有といった感情が入り込む。

しかし乱交では、その境界そのものが曖昧になる。

誰か一人を自分だけのものとして囲い込むのではなく、複数の身体が同じ空間に開かれ、それぞれの快楽が他者の快楽とも連鎖していく。

この意味で乱交は、個人の快楽と全体の快楽が一致する「開放的な広場」のような性格を持つ。

もともと「狂躁(orgiaオルギア)」という言葉は、古代ギリシアにおける宗教的な秘儀や祭儀を意味した。

とりわけディオニュソスをめぐる祭儀では、酒や音楽、踊り、恍惚状態などを通して、日常的な秩序から一時的に離脱するような宗教的狂躁が重要な意味を持っていた。

ここでいう狂躁は、単なる性的興奮とは限らない。

酩酊、身体的な恍惚、集団的な熱狂、そして宗教的な法悦が混然となることで、日常生活では保たれている自己と他者、個人と共同体の境界が揺らいでいくのである。

したがって、乱交という言葉の背後には、単なる「性欲の旺盛さ」以上の歴史的イメージがある。

その後のヨーロッパの祭りや謝肉祭にも、日常の秩序を一時的に反転させるという構造を見ることができる。

祭りの期間には、普段なら許されない行為が一定の範囲で認められ、社会的な身分や役割が一時的に逆転することもあった。

こうした「祝祭」と「秩序の停止」の関係は、後にバタイユが論じる侵犯の問題ともつながっていく。

ただし、現代の日本の祭りやヨーロッパの謝肉祭を、そのまま古代の乱交の名残と考えることはできない。

ここで重要なのは、両者が歴史的に同じものだということではなく、日常の規則から一時的に解放される「祝祭」という構造に類似性があるという点である。

祭りは、単なる快楽の場ではなく、そこには暴力や無秩序、禁忌の侵犯といった危険な側面も含まれている。

だからこそ、乱交もまた「好きなだけセックスをする」という快楽主義だけでは説明しきれない。

むしろ重要なのは、普段なら人間を縛っている規則が一時的に揺らぐことであり、その代表的なものが、所有と階級である。

一夫一妻制を前提とした社会では、性愛には「この人は自分のパートナーである」という関係が強く結びついており、そこには独占、嫉妬、貞操といった概念が生まれる。

しかし、複数人が互いの性愛を共有する場では、この「自分だけの相手」という所有的な関係が成立しにくくなる。

さらに祝祭的な空間では、普段の社会的身分や立場も一時的に意味を失う。

衣服を脱ぎ、身体をさらし、同じ空間で快楽を共有することは、少なくとも象徴的には、社会的な階級や身分の差を忘れさせる。

その意味で乱交は、所有権の廃止と階級観念の否定を、性的な形で想像することのできる極端なモデルともいえる。

もちろん、現実の乱交が本当に完全な平等社会になるわけではない。

誰にでも拒否権がないという意味での「完全平等」は、むしろ同意という現代的な倫理からすれば成立してはならない。

ここで考えられるのは、あくまで「誰かを独占する権利」や「身分によって相手を選別する秩序」が一時的に停止された世界である。

だからこそ、乱交という想像には独特の魅力が生まれる。

羞恥心、嫉妬心、独占欲といった、一対一の性愛に付随しやすい感情をいったん脇に置き、自分自身の快楽だけではなく、その場にいる全員の快楽が増大していくことを目指す。

「自分が快楽を得ること」と「他者が快楽を得ること」が対立せず、むしろ互いの快楽を増幅させる。

これこそが、乱交を単なる「人数の多いセックス」以上のものとして考えるときの核心なのかもしれない。

そして、この発想を極端なところまで押し広げた文学者の一人が、フランスのサド侯爵である。

サドの『悪徳の栄え』では、ジュリエットを中心として、道徳や宗教的な美徳を否定し、淫蕩や残虐を含むさまざまな悪徳を徹底的に肯定していく世界が描かれる。

作品そのものが、単なる性愛小説ではなく、「自然にとって善悪とは何なのか」「社会が悪と呼ぶものを本当に悪と呼べるのか」という問題まで突きつけてくる。

そこで描かれる極端な性的饗宴は、現実の性愛を写実的に描いたものというより、社会的な規範を徹底的に取り払ったとき、欲望はどこまで拡大できるのかという想像実験として読むことができる。

動物まで含めて人間の性愛の境界を取り払ってしまうようなサドの想像力は、まさに「肉体のアナーキズム(無政府主義)」と呼びたくなるものだ。

現実にはあり得ないほど極端な光景であっても、「乱交」という言葉から私たちが連想するのは、しばしばこのような際限のない欲望の世界である。

つまり乱交の本質は、単純に「何人で性行為をするか」という人数の問題ではない。

一人の欲望を一人の相手だけに向ける性愛から、複数の身体と欲望が混ざり合う性愛へ。

そこでは、快楽だけでなく、所有、嫉妬、階級、羞恥、禁忌、そして社会そのものの境界までが問題になる。

乱交という言葉が長く人を惹きつけてきたのは、そこに「もっと多くの快楽」という意味だけではなく、普段の社会では当たり前だと思っている性愛の秩序そのものを、一時的に無効にしてしまう世界が想像されているからなのだろう。

 

AVにおける乱交

ここまでは、乱交を単なる快楽主義者たちの集まりとしてではなく、祭りや祝祭、所有、階級、禁忌、侵犯といった歴史的・哲学的な概念から見てきた。

では、実際にAVにおける「乱交」は、こうした意味をどこまで映像として表現できているのだろうか。

AVには「複数」「乱交」「輪姦」といった似た言葉が存在する。しかし、それぞれが指しているものは同じではない。

「輪姦」は、一般には一人に対して複数人が性的行為を強いる不同意性交を意味する言葉であり、現実の犯罪を指す。

一方、AVではその禁忌性や強制的なシチュエーションを演出するジャンル表現として用いられることがある。

それに対して「複数」は、比較的少人数による複数人の参加を示す言葉として使われ、「乱交」はさらに人数が増え、参加者同士が入り混じる大規模な集団性を想起させる傾向がある。

もちろん、これはAV作品における厳密な業界定義ではない。

しかし、商品名やジャンル名として考えれば、「複数」は人数を、「乱交」は集団としての雰囲気を強調する言葉と考えると分かりやすいだろう。

そして、ここにAVならではの難しさがある。

乱交の魅力は、個々の行為だけではなく、参加者全体によって作られる「」にあるからだ。

一対一の性行為であれば、一組の身体を大きく映すことで、その場で何が起きているのかを視聴者に伝えることができる。

しかし人数が増えると事情が変わる。

全体を撮影すれば、何人もの参加者がいることや、その場の熱気、集団としての雰囲気は伝わるが、一人ひとりの細かな様子は分かりにくくなる。

反対に、細部を大きく撮影すれば、個人の身体や表情、動きは伝わるものの、今度は「全体として何が起きているのか」が見えなくなる。

つまり乱交には、「全体を見せるほど個人が見えなくなり、個人を見せるほど全体が見えなくなる」という映像上の矛盾がある。

さらにAVでは、映像を連続させることだけが目的ではない。

収録時間や作品としての構成、撮れ高などの事情から、実際には複数の場面を編集して一つの作品にまとめる必要がある。

そのため、実際にその場に存在した集団的な時間の流れを、そのまま視聴者に体験させることは難しい。

これは、乱交を「個人の快楽」ではなく「全体の快楽が成立する広場」と考えた場合、とくに大きな問題になる。

乱交を祭りとして考えるなら、むしろ一人の参加者だけを追い続けるカメラよりも、ある程度離れた場所から集団全体を捉え、ときどき個々の参加者へ近づいていくような撮影のほうが、その性質を表現できるのかもしれない。

視聴者は一人の身体だけを見るのではなく、画面の中に存在する複数の人間を自分自身の視線で追う。

これは、通常のAVとは少し異なる視聴体験である。

さらに複数のカメラを使えば、一つの会場を複数の視点から記録することもできる。

あるカメラは全体を捉え、別のカメラは別の場所を捉えるが、それぞれの視点を一つのパートとして扱い、別カメラのアングルを混ぜない。

そうすれば、「一人の快楽」を主体としながらも、一つの空間に存在する複数の視線を並列させることができる。

これは、乱交を「複数の一対一の行為」としてではなく、「一つの広場で同時に発生する集団的な出来事」として表現する方法ともいえる。

実際、固定カメラによって一つの空間を長時間捉えるタイプの作品には、通常のAVとは違った面白さがある。

細部を常に説明するのではなく、画面の中に存在する空間そのものを視聴者に委ねるからだ。

視聴者はカメラが指定した一つの対象だけを見るのではなく、画面内のどこを見るかを自分で選択することができる。

これは、乱交という「広場」の性質とも相性がいい。

 なぜ人間は二人だけで満足しないのか

ここまで考えてくると、さらに別の疑問が生まれる。

そもそも、結婚や一夫一妻制が社会の基本的な制度として発達してきたにもかかわらず、なぜ人間は複数人による性的な関係を繰り返し想像し、実践してきたのだろうか。

結婚には、単なる恋愛や性愛とは異なる社会的な意味がある。

結婚は「二人が結ばれた状態」であると同時に、その状態へ移行する制度でもある。

そして歴史的には、財産、相続、家族、子どもの養育などと深く結びついてきた。

フーコーが『性の歴史』で論じたように、性愛は単なる個人的な欲望ではなく、社会制度や権力、家族制度と切り離して考えることができない。

だからこそ、一夫一妻制が性愛の基本的な形として社会に組み込まれるほど、それとは異なる「複数の身体」という可能性もまた、別の形で想像され続けてきたのではないだろうか。

もちろん、過去の社会が現代より性的に自由だったと単純に考えることはできない。

むしろ歴史上の多くの社会では、女性の身体や婚姻、相続、貞操などに対して現在とは異なる、あるいはより強い規範が存在していた。

それでも、人間の身体そのものが完全に制度へ回収されるわけではない。

制度が身体を規定する一方で、人間はその身体を通して、制度では説明しきれない欲望や刺激を求める。

そこに、乱交という想像が入り込む余地がある。

乱交は単なる「もっと多くの快楽を得たい」という欲望だけではない。

一人の相手との関係を超え、複数の身体が同じ空間に存在することで、自分自身の身体が他者との関係の中に置かれていることを強烈に意識する。

それは快楽であると同時に、自分が世界の中に身体を持つ存在であることを確認する行為とも考えられる。

一対一の性愛が「私とあなた」という関係を強く意識させるものだとすれば、乱交は「私とあなたと、さらに他者」という関係を生み出す。

そこでは、自分自身が一人の主体として存在しながら、同時に巨大な集団の一部にもなる。

だからこそ乱交は、単なる人数の問題ではない。

二人という性愛の単位を越えたとき、人間の身体と欲望はどのような関係を作ることができるのか。

AVにおける乱交を考えることは、実はこの問いを映像の問題として考えることでもある。

一人を大きく映すのか。

二人の関係を映すのか。

それとも、複数の身体が存在する「」そのものを映すのか。

乱交を本当に表現しようとするなら、重要なのは何人が登場するかだけではなく、その人数によって生まれる「全体」を、映像がどこまで捉えられるのかなのかもしれない。

 

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